内澤旬子『世界屠畜紀行』メモ(1)
「人は、どうしても動物に感情移入してしまうんですよね。でも動物には、人間が想定するような苦しみだとか、喜びだとか、そういった感情はほとんどありません。チンパンジーだって人ほどには複雑に『思って』ないですよ。たとえば、お腹のすいたチンパンジーが、隣のコロコロ太ったチンパンジーを見ただけで、あいつどこかで旨いもん食ってやがるな、このやろう、と嫉妬することはありません。そこまで自分を投影することはできない。ところが人間は動物だけでなく、機械に対してまでも自分を投影し、感情移入することができる。実に複雑な思いやりができるんです。ひっくり返せば複雑に騙すこともできるんですが。ともかく感情移入は人間の能力の主要な要素と言えますね。
ただここで、〈感情〉ということばをもう少し単純な快・不快、喜び、怒りといった〈情動〉と置き換えれば、それはネズミだってきちんと持っています。
(内澤旬子『世界屠畜紀行』角川文庫、p306)
これは京都大学霊長類研究所・人類進化モデル研究センター、上野吉一助教授の発言です。
少し長い引用になりましたが『世界屠畜紀行』を読んで印象的だった箇所です。作品自体は、タイトルどおり世界中の屠畜の様相についてのルポルタージュであり、この箇所はどちらかというと脇道に入った部分です。そして完全に孫引きです。その点、悪しからず。
動物は「人ほどには複雑に『思って』ない」というのは素人考えでは、一見そんなことないだろうと感じますが、「感情」と「情動」に切り分けて考えるとなるほど理解できます。
動物と接すれば、喜怒哀楽のあることは分かります。しかし自らを投影した感情移入まではできないということです。ただある種の共感は動物もしていると思います。主人が悲しいときに慰める犬などは、主人の悲しみに共感しているのだと思います。しかし、主人の悲しみを自分に引きつけて、感情移入するまでは至らないということでしょう。
あと、一つ思ったのですが「嫉妬」の対義語って何でしょうか。
嫉妬というのは、自他の差に対して納得できないことについてのネガティブな感情だと思います。そう考えると自他の差を認めつつ、そこに喜び乃至心地よさを感じる種類の感情といことになります。それって一体何ですかね。
世界屠畜紀行 THE WORLD’S SLAUGHTERHOUSE TOUR (角川文庫)
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『聲の形』感想 〜西宮硝子とキャラクターデザインのこと〜
ヒロイン西宮硝子
ちょっと遅くなりましたが『聲の形』見ました。ヒロインの西宮硝子が可愛かったです。今まで見たアニメキャラの中で一番でした。自分でも一番だなどと簡単に言っていいのかと感じるのですが、それでも一番なのだと思います。『とらドラ!』の「そういうふうにできている」みたいな感じでしょうか。
キャラクターデザイン
本作のキャラクターデザインは西屋太志でした。宣伝イラストや予告を見たときは『境界の彼方』のキャラクターデザインをした人(門脇未来)だろうかと思いましたが違いました。
西屋太志は『氷菓』『Free!』のキャラクターデザインを担当しており(『日常』もですが)、もっとシャープな絵を描くイメージでしたが、今回はより柔らかさがありました。
映画を見る前から、原作漫画『聲の形』のキャラクターを、どうアニメーションのキャラクターへと描き換えるかに興味があったのですが、凄く上手くいっていたと思います。原作のよさと、京都アニメーションの味が程よくミックスされていたからです。
特に石田将也の髪型や目のあしらい方は難しそうだと思っていましたが、杞憂でした。ツンツンした髪も、小さな黒目もごく自然に作品を構成していました。
素晴らしいキャラクターデザインでした。
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塩野七生『海の都の物語 1 ヴェネツィア共和国の一千年』読書メモ(1)
歴史と、そこにある普遍
たしかに、ヴェネツィアは、共和国の国民すべての努力の賜物である。ヴェネツィア共和国ほどアンティ・ヒーローに徹した国を、私は他に知らない。
しかし、庶民の端々に至るまで、自分たちの置かれた環境を直視し、それを改善するだけでなく活用するすべを知って行動したのかとなれば、ゲーテだってそうは思わないであろう。理解と行動は、そうそう簡単には結びつかないものである。庶民には、その中間に、きっかけというものが必要なのである。行動開始に際してきっかけを必要とする人々を軽蔑する人は、その人のほうが間違っている。この点に盲目でないのが、有能な為政者であるはずだ。
(新潮文庫版p37)
庶民が行動するにはきっかけが必要だ。つまりはそういうことだろう。
言われてみれば納得もするし、そればかりか、内心にはその認識を持っていたという人もいるかもしれない。ただ引用中に「理解と行動は、そうそう簡単には結びつかない」とあるのと同じように、認識、さらには理解したことを、書くという行動に結びつけることが偉いのだと思う。
塩野七生は歴史という過去の具象を語りながら、同時に現代までも通ずる人間の在りようを抽象化する。ヴェネツィアの歴史を述べながら、そのなかに浮かぶ庶民の普遍的な在りようを見出し、文字に残す。歴史と普遍その二つが、一本の流れある文章として記されるところに、塩野七生の歴史文学のひとつの面白さがある。上の引用部分はその面白さをよく表している。
▼ 以下は、2016年3月17日に追記
商売というものは、買い手が絶対に必要としている品を売ることからはじまるものである。買い手に、買いたい気持ちを起させるような品を売りつけるのは、その後にくる話だ。
(同上p103)
最初の引用部と同様に、ヴェネツィアの歴史について書いてる最中に、さらりと商売一般についての言葉を織り込んでいる。歴史に対する具象的な言説と、人間に関する抽象的な言葉を組み上げる巧みさは、やはり塩野七生の文章の魅力の一つである。
ヴェネツィアの現実主義
折角なので『海の都の物語 1 ヴェネツィア共和国の一千年』の全体的な内容についても記しておく。本書はヴェネツィアという現実主義国家について書かれている。最初の引用にあるように、そこは「アンティ・ヒーローに徹した国」であり、「ヴェネツィアでは、ほとんどすべてのことがらが、必要性に結びつけて考えると理解が容易になる」(同上p72)のだ。塩野七生は徹頭徹尾、ヴェネツィアを現実主義国家として捉える。
現在は観光都市となり、どちらかといえば華やかな印象の強いヴェネツィアである。しかしそこは、一都市国家ながら歴史に強く、そして長く存在を誇示し続けていた。それを可能にしたのは、華やかさなどではなく、地道さや強かさ、慎重さと抜け目のない大胆さだったのだろう。即ち純粋な現実主義である。
『海の都の物語』シリーズの第一巻を読み、そう理解した。この理解は残りの巻を読んでも、おそらく覆ることはない。それほどに塩野七生の文章は、明確な意志と意図を持って書かれているのだ。
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