ナイフとフォークで作るブログ

小説とアニメ、ときどき将棋とスポーツと何か。


桜庭一樹『私の男』を読んで  〜土地と女と男と〜

 桜庭一樹は土地を描く。
 桜庭一樹作品の登場人物は、ある土地において(『私の男』では奥尻紋別)、周囲から期待される居場所と、自分が心地よいと思う居場所の間に齟齬があり、その齟齬を埋められずにいる人たちだ。

 彼らのうちの幾人かは、その齟齬と何とか折り合いをつけて生きていく(例えば『赤朽葉家の伝説』の万葉)。

 また、彼らのうちの幾人かは、その齟齬に傷つき(例えば『少女には向かない職業』の二人の少女)、ときには土地から弾き出される。

 『私の男』は、土地から弾き出された人物についての物語だ。そして、弾き出されながらも、真実は、キタと海に誰より強く囚えられ続ける女と男の物語が『私の男』なのだろう。

私の男 (文春文庫)

私の男 (文春文庫)

司馬遼太郎『歴史の世界から』読書メモ

 司馬遼太郎『歴史の世界から』を読んでいて気になった文章を引用し、コメントを添えています。作品自体が、短いコラムを集めて編まれた書物なので、引用ごとの関連性はほとんどありません。個別に読んでください。


家康の罪

 しかし、家康は功罪が大きいな。
 なにしろ、彼の家系を維持するためにわれわれ日本人は、三百年、たった一つのその目的のために侏儒(こびと)にされましたからね。

司馬遼太郎『歴史の世界から』中公文庫、1988、第六版、p53。以下引用は同書から)

 もちろん江戸時代に価値が全く無いわけではありません。しかしその三百年間に逸失したものは何でしょうか。
 具体的な技術や、形而上的な思想以前に、より純粋な人間活動の自由や合理性を制限し、矮小化させたことを批判し「侏儒」と言ったのだと思います。


「待てる」家康

「待つ」ということが家康の特技であった。並みな人間はあせる。「やがて運はまわってくるさ」と、悠々とその間、自分の手近な仕事を深めていける人物はすくない。家康を後年天下人にさせたのは、この「待てる」という才能も大いにあずかって力があった。

(同上、p62)

 「司馬史観」という言葉が使われることがあります。
 そう言ってしまうといかにも、司馬遼太郎が歴史全体にまで焦点を広げて小説を書いたように思えます。だがそれは違うでしょう。司馬にあったのはむしろ「司馬人間観」であす。その「人間観」が小説を支えているし、それ故に歴史の流れは脚色もなされて書かれています。
 その事実を無視して「司馬史観」が日本の歴史学をダメにしたと言う人もいますが、もとよりそんなものはありません。作品の柱にあるのは司馬が徳川家康坂本龍馬西郷隆盛等々挙げれば切りがありませんが、彼らをいかに見たかという「人間観」なのです。


日本の競争原理

日本は明治初期から非常にアメリカ風ですね。アメリカから学んだわけではなく、偶然似ているんです。競争することはいいことであり、勝ったものがすべて正義になるんだ、という原理ーー日本にはもともと原理なんかないんですがーーしいていえばこの競争原理があります。

(同上、p148)

ただ猛烈な競争社会だけならまだしも、日本の場合は「過当競争社会」ですからね。ある意味ではアメリカの経済社会よりひどいわけでしょう。抑制力の乏しい競争社会だから怖い。

(同上、p149)

 競争という言葉が使われているために些か分かり辛いです。競争と云えば何らかの優劣があるように思えますが、日本の場合は違うでしょう。単純比較できる優劣という乾いた基準ではなく、もっと湿った正体不明の空気が情勢を支配しています。
 日本では同じような問題を起こしても、ひどく批判される人と、さほど批判を受けない人がいます。具体例は上げませんが、批判してよいという空気が醸成されたときに、日本で見られる不条理さは目に余ります。「抑制力の乏しい競争社会だから怖い」とは、そういった点を指してのことではないでしょうか。


純粋防衛論と虚構

純粋防衛論はどの国のどの歴史段階でもつねにうそであり、そのくせ国民的合意を得やすい「虚構」の上に危機意識をもって構築される。

(同上、p177)

 近頃の集団的自衛権の解釈拡大や、共謀罪について何事かを考えさせられます。


分析されなかった日露戦争勝利と、そのことの弊害

各段階ごとの野外決戦における日本軍の結果的な優勢(定義があいまいのままで使われるいわゆる「勝利」)は、その理由を、ふつう天佑神助とか、将兵の勇戦奮闘とか、作戦の優越とかいった実証不能の抽象的理由に従来帰せられ、それがやがては戦後半世紀にわたって日本軍隊の神秘的優越をその民族内部で総がかりで信じこませるもとを作り、ついには民族ぐるみで自民族の認識を病的にしてしまった」

(同上、p226)

 これは日露戦争について書かれた箇所です。ですので戦後とあるのは日露戦争後ということになります。しかし第二次大戦後に治まったかに思われた、病的な自民族の認識は現在において、再び転移発症しているように思えます。


日露戦争の分析と研究および教訓をひき出すことについては、観戦武官を出した欧米諸国および敗戦した帝国をひきついだその後のソ連において活発であったのに比して、日本陸軍においてもっとも不明晰で不活溌であったことは、歴史の本質もしくは日本社会のなにごとかを考える上で示唆をふくんでいるといっていい。

(同上、p228)

 「歴史の本質もしくは日本社会のなにごとか」の具体的な顕現がつまり、現在起きつつある病的な自民族の認識の再発でしょう。となると、司馬遼太郎の歴史への洞察の鋭さがはっきり捉えられます。
 もちろんその洞察が当たって欲しかったか否かは、別の問題ですが。


シベリア抑留という棄民

シベリア抑留とは言葉はきれいだが、実態は古代の戦時奴隷そのもので、それよりもあるいはひどかったかもしれない。当時の日本国は、敗戦の結果による連合軍の占領下におかれた非独立国だったために、これに対して国家としての抗議はしなかった。まことに痛ましいことながら、棄民だったといっていい。

(同上、p240)

 シベリア抑留は、知っていてもどう受け止めてよいかが判然としませんでした。しかし「棄民」という言葉から伝わるものがありました。


日本語散文の黎明

散文に一種の神秘性に近いものをもとめる傾向は、千年にわたって中国の文章および文章に関する思想の影響をうけてきただけに、日本ではすくなくともヨーロッパ語圏よりも濃厚かもしれない。

(同上、p245)

私どもが夏目漱石正岡子規、もしくは森鴎外を所有していることの大きさは、その文学より以前に、かれらが明治三十年代においてすでにたれもが参加できる文章日本語を創造したことである。

(同上、p247)

 散文から神秘性を排除し、ものごとの正確な描写を可能にした。それはその通りだし、よいことだったでしょう。
 ただ、ものごとの正確な描写と論理的な正確さばかりになった現代の散文に浸っていると、神秘性のある散文に別な魅力を感じたりもするのも否定はできません。


合理的精神の普遍化と経済

私は合理的精神を社会に普遍させてゆく力は、商品経済・貨幣経済であるように思っている。

(同上、p247)

 明治帝国の空虚さや、征韓論の虚しさは、この商品経済・貨幣経済の実力が伴っていなかったためでしょう。(※同書、p176参照)


神道における杜

神道という名もなかった日本の固有信仰というのは社をあがめることであった。はるかに降って信仰を賢らに飾る思想が出てきて、社殿ができ、職業神官が棲みつき、さらにこんにちでは神社を神主の暮らしのたねにするようになった。

(同上、p300)

 神楽坂の赤城神社、京都下鴨神社糺の森等々。杜を潰してコンクリートマンションで埋めるようなことは本当に止めて欲しいです。

森見登美彦『四畳半王国見聞録』ごく短な感想

四畳半と阿呆神への執着

 本作は「四畳半王国。それは外界の森羅万象に引けをとらない、豊穣で深遠な素晴らしい世界である」(森見登美彦『四畳半王国見聞録』新潮社/2011/p10、以下引用は同書より)や「『世界は阿呆神が支配する』芹名が呟く。意味は分からない」(p109)等々、四畳半と阿呆神への執着で煮染められた小説だ。


 その煮染められ具合は、その他の森見登美彦作品(例えば『四畳半神話大系』)よりも濃い。森見登美彦の作品世界を知らずに読めば胸焼けを起こしてしまうかもしれない。いや、森見登美彦ファンの中にさえ胸焼けしている人がいる恐れもある。そんな男汁溢れる作品である。

ふと感じる爽やかさ

 けれど、男汁溢れアクの強い本作にも、ふとしたところに爽やかな文章が挟み込まれている。

とはいえ、三浦さんの電話が切れた後、なすすべもなく膝を抱えて阿弥陀堂の軒下で雨音に耳を澄ましていると、なんとなくしみじみと嬉しい。その嬉しさを適切に表現することが彼にはできない

(p88)

今さら失われた夏の一日を取り戻そうとして慌てるのも空しい。(中略)「いったい今日という一日はなんだったんだろう。ホントになんでもない一日だったなあ」と考える

(p98)

 この二つの文章は爽やかだ。
 どれだけアクの強い作品を書いても、澄んだ心象を完全に欠落させないところに、森見登美彦作品の魅力を感じる。

四畳半王国見聞録 (新潮文庫)

四畳半王国見聞録 (新潮文庫)