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百伍圓読書録3:司馬遼太郎『夏草の賦』読みました!

挫折者としての長宗我部元親


『夏草の賦』は司馬遼太郎の作品群の中では、やや知名度の低い作品ではあるが、一読すればファンになる人も多いように思う。


長宗我部元親は実力も野心も申し分なく持っていたが、地理的不利を克服することができなかった。英雄の挫折だ。彼はその鬱懐を抱えて生涯を終える。
完璧な成功者と、そうではない者を比べれば、後者の方が多数だろう。多くの人は挫折と折り合いを付けざるを得ないときを迎える。『夏草の賦』はそんな人達の心情に響く作品なのだ。


また、この作品は長宗我部元親の伝記以外の面でも魅力を有している。以下、雑感としてまとめた見た。

雑感


かつて土佐を支配した、長宗我部元親が創出した一領具足。その兵制度が領民に、荒削りながらも人民意識を植えつけた。その人民意識は、歴史の伏流水として明治維新に湧出した。『夏草の賦』の背景には、司馬遼太郎のそういった認識がある。


もちろん主題は、長宗我部元親の一代記である。しかし、ある面では土佐国の史書としての内容も含んでいる。元親による一領具足(あるいは粗雑な人民意識)は、豊富秀吉への降伏、さらに徳川幕府による長宗我部家の改易により、短期的に見れば徒花となった。


だがその人民意識は、三百年を隔てた幕末、明治期に思いがけず鮮やかな花を咲かせる。担い手となったのは、坂本龍馬や中岡慎太郎武市半平太、またその後の自由民権運動の活動家たちである。
『夏草の賦』は、長宗我部元親の英雄譚であると同時に、土佐という土地についての小説なのだ。維新の時代に光彩を放った、土佐藩の原点がそこに描かれている。


その二重性を可能としたのは、司馬氏の歴史を見通す優れた眼だ。歴史に近接するだけでは見えない、大局的な関わりを提示することで、作品の魅力がより深いものとなっている。

入手しやすさについて


『夏草の賦』は、上にも書いたが超有名作品ではないので発行部数も、例えば『竜馬がゆく』や『翔ぶが如く』ほどではない。とは言え、そこは人気作家である。流通量は決して少なくない。定期的に105円コーナーを覗いていれば、きっと手に入るはずだ。


むしろ司馬遼太郎の作品どれも、見つけたら購入するというスタンスでいけば105円で手に入る。これを読まない手はないのである。