『日常』を見終えて 〜そこそこ回るちっちゃいやつなのです〜
「日常」
日常。広辞苑第五版の語釈に「つねひごろ、ふだん、平生、平常」とある。しかし、この言葉は二つの位相に分類できる。
一つ目は、社会や文化、あるいは組織、集団で普遍的に共有される日常だ。
例えば、新年を祝ったり、土曜の次に日曜が来たり、車が道路の左側を走ったり、コンビニの商品がほとんどディスカウントされないような日常だ。より積極的に言うと、交通事故はあるけれど身近ではない、好きなアイドルはいるけれど直接言葉を交わすことはほとんどない、そんな日常だ。
これを「社会的日常」と呼ぶ。
二つ目は、一人ひとりが個人的に当然と考えている日常だ。
例えば、大酒飲みが夜な夜な杯を進めたり、市民ランナーが毎週末に20キロのランをしたり、スニーカーマニアが新製品を買い漁るような日常だ。より積極的に言うと、友達にストレートに「馬鹿」と言ったり、机の上に仏像を置いていたり、背中にネジがついているような日常だ。
これを「個人的日常」と呼ぶ。
『日常』
『日常』の日常とは何だろうか。
最終回、背中のネジを取って貰えることになったなのが「これで私も普通の人みたいに見えるんだ。今までより、みんなと仲良くできるかな。みんなとどこか遊びに行ったり、もっと普通で楽しい日常が待ってるかも」と言う。
このセリフにある日常は「社会的日常」だ。普通の人として均質化された日常だ。
しかし直後、彼女はそれまでの思い出によって考えを変える。思い出のなかでゆっこが「なのちゃんは、なのちゃんだし、それでいいんじゃない」と言う。
このゆっこの言う「なのちゃんだし」が「個人的日常」だ。
一人ひとりは皆違っていて、それぞれが日常を持っている。毎日宿題を忘れてくる日常があれば、背中にネジを付けている日常もある。
『日常』は、傍から見れば可笑しなエピソードを積み重ねている。けれどその実、当事者のキャラクターは「個人的日常」を暮らしているだけなのだ。
なのの「日常」
ネジを外さないことを選んだなのに、はかせが「ちっちゃいの」を取り付ける。そのときはかせは「このちっちゃいのはねぇ、なのが嬉しくなっちゃったときにネジがそこそこ回るちっちゃいやつなのです」と言う。
驚いたときなどにガシャンと動くことはあったけれど、止まったままだったネジが、なのが嬉しくなったら回り出すという。最後の場面、バースデーケーキをひっくり返してみんなが騒いでいるなかで、なののネジは回っている。
回っているネジは、「社会的日常」を求めてきたなのが、自らの「個人的日常」を選んだことを象徴する。
なのにとっての「日常」という物語はここから始まるのだ。
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