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ナイフとフォークで作るブログ

小説とアニメ、ときどき将棋とスポーツと何か。


読書録:団鬼六『真剣師小池重明』を読んで。

小説・文学 将棋

私的解説


 小池重明の人生は、将棋界の正史に対する外伝だ。


 凄腕の真剣師であり、ときにプロ棋士を凌ぎながらプロ棋士にはなれず、度重なる素行の悪さからアマチュア将棋界での居場所も失う。将棋の強さとは裏腹に、ついに小池重明将棋世界の本流に乗ることはなかった。


 奇しくも、現在の「日本将棋連盟」設立と、小池の誕生は同じ1947年である。小池の成長と並行して、プロ棋士、アマチュア棋士の違いがより確かとなっていった。花村元司九段が真剣師からプロ棋士となったのは1944年。その頃の大らかさは次第次第に失われていく。


 それは同時に、真剣師が滅び行く時代とも重なる。現在では絶滅してしまった、賭け将棋を生業とする真剣師という渡世人が、小池の青年期にはまだ活躍していた。
 ともに通天閣の死闘を演じた加賀敬治をはじめ、本書には多くの真剣師が登場する。最後の真剣師と呼ばれた大田学が亡くなったのが2007年。小池の死より12年後であるが、生年では大田のほうが早い(1914年)。小池重明真剣師として最後の世代の一人だった。
 プロ将棋の世界が整備されるにつれ、あるいは社会全体から戦後的猥雑さが失われるにつれ、真剣師の居場所はなくなっていく。将棋の歴史を考える際に、プロ棋士界とは別の世界があり、その一つはアマチュア棋士界で、もう一つが真剣師達の世界だ。今はなくとも、確かに真剣師による歴史があった。徒花とも言えるその歴史の、最後に光芒を放つ存在が小池重明だった。


 しかしアマチュア棋士と真剣師の境界も曖昧ではある。全日本アマチュア名人戦の優勝者には加賀敬治、関則可(※本書では関則司という変名で登場)のような真剣師の名も見られる。
 関則可真剣師の経歴を持ちながら、その反面、1977年に「日本アマチュア将棋連盟」を設立させている。それは「日本将棋連盟」発足以降「アマチュア強豪を軽視していたプロ棋界への反発」(※引用wikipedia項目「日本アマチュア将棋連盟」より引用)として結成された組織である。
 関は、小池が21歳で上京した際、そのアパートに居候をする人物でもある。


 小池もまた、真剣師としてよりアマチュア棋士として名を馳せる時代がくる。彼は1980、81年と全日本アマチュア名人戦を連覇し、プロ棋士相手の対局でも白星を重ねた。その彼にプロ編入の話が持ち上がるが、小池自身の寸借詐欺などの問題でご破算となる。小池重明が将棋正史に名を連ねる最後のチャンスであったが、それは実らなかった。
 さらに、彼のアマチュア名人らしからぬスキャンダルが世に知られることで、アマチュア将棋界からも姿を消さざるを得なくなる。
 その後小池は土方などの肉体労働者を経て、本書著者団鬼六の支援によりアマチュア将棋界へ復活する。しかし、それからの人生は決して長くはなかった。1992年5月1日、彼は茨城県石岡市の病院で、自ら点滴チューブを引き抜き、自死したと言われている。


 このように、消えゆく真剣師の末裔であり、プロ棋士編入を期待されながら果たせず、アマチュア棋士としてもはみ出し者であった小池重明。彼は、現行のプロアマ二元的将棋界が確固たる形になる以前の、混沌を生きた伝説的棋士である。彼は将棋史の傍流に存在していたが、今でもなお魅力的だ。いやむしろ、今だからこそ余計に輝いて見える。
 その強さ、プロ棋士富岡英作八段をして「特殊感覚の持ち主です」(p245)と言わしめた独特の棋風、破天荒な生涯を以って、小池重明は将棋史上に、外伝として一つの金字塔を打ち立てている。


感想


 『真剣師小池重明』には、一人の真剣師の無頼の記録という以外に、一種独特の体温が感じ取れる。
 その体温の源は、団鬼六小池重明に対する思い入れだ。団が小池と親しく関わるようになったのは、アマチュア将棋界から放逐された小池が、名古屋での土方を辞め東京に舞い戻った後のことらしい。将棋の一本を除けば無軌道に生きてきた小池が、ついに破綻を迎える時期のことである。
 団は、小池への生活費の供給や、駆け落ちの後始末などで随分と苦労をしたらしい。そのこともあって、団の文章は小池をただ伝説的真剣師として称揚するだけでなく、彼に対する個人的な恨みつらみが滲み出ていて面白い。云わば、小池に直接言えなかった愚痴がこの本からは読み取れるのだ。この点は本書のユニークな要素である。


 しかし一方で、小池の、奔放だが人好きのする性格や、棋士としての他に類のない凄みも、団はしっかりと文章に焼き付けている。
 ただ、そこに書かれた小池の姿に一箇所だけ茫漠とした部分が残されている。それは小池の棋士としての「特殊感覚」の正体である。
 言葉で言えば、序盤に勝ちは難しいと思える差を付けられながら、中終盤の正確かつ鋭い指し回しで勝利をもぎ取るといった辺りだろう。しかしその点について、本書からは深い理解を得られない。単純に言葉にすればそういうことだろうと生合点するのが精々だ。
 だが、これも仕方のない事で、富岡英作八段でさえ「特殊感覚」と評した小池の将棋の本質を、団に解説しろというのは些か酷である。
 そして、この団の(そして読者の)理解をはるかに超える将棋にこそ小池重明の最大の魅力がある。団は、自らは書ききれない小池将棋の本質を暗示することで、逆説的に小池の特殊な存在感を露わにする。その存在感があればこそ、小池重明は伝説へと昇華し得るのだ。


 しかしもちろん、小池重明一人が魅力的な真剣師だったわけではないはずだ。団鬼六という記録者を得た小池は、幸運だったのかもしれない。そして団の文章を通じて小池に出会った私たち読者もまた幸せなのである。
 単に記録だけを見れば、破滅的な生き方と、プロにも遅れを取らない将棋の強さという二元的評価に落ち着きかねない小池の、憎みきれない人間味と、特殊な将棋の強さの秘密を垣間見ることができたからである。


 小池重明の将棋の強さは、彼の生涯が生んだ彼だけの特別な花だった。それは小池自身から見れば徒花だったのかもしれない。しかし『真剣師小池重明』を読む何処かの誰かの中で、いつか実を結ぶ可能性は消えない。
 まずは小池の棋譜を読んでみよう。そうすれば彼の残した将棋の、ほんの僅かな一片でも受け取れるかもしれない。そんな気分である。

真剣師小池重明 (幻冬舎アウトロー文庫)

真剣師小池重明 (幻冬舎アウトロー文庫)