ナイフとフォークで作るブログ

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読書録:米澤穂信『リカーシブル』を読んで。

感想


※以下、ネタバレあります。



 米澤穂信が好きで、発表された作品の少なくとも半分以上は読んでいるはずです。
 その中で『リカーシブル』は、あまり出来が良いと感じませんでした。もちろん米澤穂信が書く訳ですので、ある程度の質は保証されています。あくまで米澤穂信作品という範疇での評価です。


 『リカーシブル』というタイトルが作品を象徴する言葉であるという行き方は、これまで『ボトルネック』あるいは『インシテミル』でも採用されてきました。ただ、作品のどういった面を象徴するかという内容はそれぞれ違い、個人的には、「ボトルネック」が主人公の存在価値を表していたというやり方がショッキングで、魅力的でした。
 本書で「リカーシブル」という言葉が表現しているのは、ミステリーの骨格です。この「リカーシブル」、簡単に訳すると「再帰性」という構造をもってミステリーが作られています。


 そのミステリーの規模が、これまでになく大きいのです。街ぐるみの大仕掛けです。
 そして、この規模の大きさが、『リカーシブル』の仇となっています。カラクリが大きい分、細部の丁寧さが犠牲となっています。怪しい雰囲気を読み手に与えることと、それが回収されて行く先のミステリーとのバランスが悪いのです。
 例えば、サトルの予知能力についての疑惑を提示することと、ミステリーの担い手である「常井」の住民がサトルに働きかけていることとの隔たりが、上手く解消されていません。端的に言うと無理やりです。
 広げた風呂敷が大きすぎて、とりあえず畳んでみたけれどシワはあるし、角もずれちゃってるといった感じです。
 米澤穂信作品の魅力である謎解きの過程の思考を読ませることより、ミステリーの骨格、つまり「リカーシブル」に話を当てはめることに労力が向けられてしまっています。「リカーシブル」という骨組みに縛られて、作品が大雑把になっています。それ故に、作品の出来が良くないと感じました。


ハルカのこと


 以上のように、『リカーシブル』のミステリーの面ではあまり楽しめなかったのですが、主人公ハルカの今後が気になりました。若くして自立心があり、冷静さと理路整然とした思考能力があり、一方で覚束なさもある。そしてそういった自分について程よく無自覚な少女。彼女が今後どう成長するのか気になります。
 ですので、ハルカを主人公とした作品の続編を読みたいです。


 そのハルカの心情を「サトルの靴下を洗濯ばさみに留めながら、なにがあっても、どんなことを思っても、生活は止まらないんだなと思った」(p203)と表現している一文があります。この文章が、『リカーシブル』で最も印象に残った文章のひとつです。
 米澤穂信作品の主人公がここまで、パーソナルな心情を吐露した場面はこれまで無かったように思います。他の作品の主人公は個性的で、内面を語る際もどちらかと言えば記号的で、その人物のキャラクターを規定するための心情表現が主です。
 しかし、このハルカの心情はそういったものとは異質の、随分と人間臭い心持ちです。
 この辺りにも、ハルカの今後を読んでみたいという理由があります。


追記(2013年8月24日)


 『リカーシブル』の中で、回収し切れていない大事な伏線がニつあると思います。


 一つ目は、ハルカが大切にしている綺麗なキャンディーボックスです。
 彼女はこの箱の中に、沢山のおみくじを収めています。このおみくじは、失踪した父と再び会いたいという希望の、寄り所となっています。このキャンディーボックスに関して、ハルカはサトルに対してかなりエゴイスティックな態度を取ります。
 それ程に思い入れのあるキャンディーボックスなのですが、ミステリーの解決に左程役立つことはありません。つまり、このキャンディーボックスはミステリーよりも、ハルカのパーソナルな部分(おそらく父との関係)に結びついた道具なのです。
 そして、『リカーシブル』の中のハルカが、個人的な領域では未だ決着が付いていないことが、このキャンディーボックスの扱われ方からも分かります。


 ニつ目は、サトルがハルカに、お父さんが帰ってくると断言したところです。
 この場面はサトルの予知能力への疑いによりミステリアスな印象を与える効果を有していますが、読み終えて顧みると、つまりサトルに予知能力が無いことが了解されてから考えると特別な場面です。
 なんとなれば、ここではサトルの優しさが表現されているからです。優しさと言うと、些か生々しいので、思いやりや慈しみと言い換えてもよいかもしれません。サトルは、ハルカの心に刺さった棘に気が付いているのです。それは予知能力なんかより、ずっと大切な心の働きです。
 ハルカの今後の人生で、サトルの存在は相当に大きなものとなるでしょう。それに気がついていないことも、ハルカの覚束なさであり、現在の彼女の魅力の一つです。
 ハルカの父が帰ってくるかどうかは分かりません。でも、これからもサトルがハルカを見続けることだけは信じられます。


 以上、ニつの回収されなかった伏線を記しました。
 そのどちらもが『リカーシブル』のミステリーではなく、ハルカの人生(未来)に関わっています。米澤穂信が、彼女の成長を作品に残すかどうかは全く見当も付きません。けれど、こういった暗示的な仕掛けを組み込んでいるところに、米澤穂信の、ハルカに対する何らかの予感が隠されているような気がしてなりません。
 上にも書きましたが、ハルカが主人公の続編を読みたいと思っています。そういった気持があるから、こんな見方になってしまうのかもしれません。でもこの二つの伏線は、きっととても大切なことなのだと感じています。

リカーシブル

リカーシブル