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『たまこラブストーリー』感想②  〜 演出、特にファンタジーのこと 〜

名作だと思う。

 『たまこラブストーリー』は、名作だと思う。
 青春アニメ映画としては、『耳をすませば』(1995年)以来の出色の出来だ。
 ゼロ年代以降、質の高いアンメーション作品を作り続けてきた京都アニメーション(以下、京アニ)にとり、一つの到達点とも言える映画だった。

作画の美しさ

 作画の美しさについて、京アニ作品の秀逸さは既に疑いようもない。ストップモーションにした際、一枚の絵として美しいことはもちろんだが、絵を動かした際にもバランスが崩れることがない。画面中のどの一点を見ても丁寧な描きぶりが見て取れる。素晴らしい作画が、常に期待できる。
 そして『たまこラブストーリー』の作画も、やはり美しかった。

絵の動き

 また絵の動きに関しては、TVアニメ『たまこまーけっと』のそれは、現実の動きを無理にデフォルメせず、可能な限り自然にアニメの文法に直訳した動きになっていた。
 「アニメの文法」の定義は難しいが、部分的にはそれは「人間の動作を元にしながら、アニメーターによる分析、抽象化を経て再現されたアニメに独特であるキャラクターの動作」ということだ。例えばモーションキャプチャーのような手法はここでいう「アニメの文法」からは(現時点では)外れる。
 そして『たまこラブストーリ』の絵の動きも基本的には、『たまこまーけっと』のやり方を踏襲している。


 しかし『たまこラブストーリー』の動きには、『たまこまーけっと』にはなかったデフォルメというスパイスが少しだけ加えられていた。そのスパイスは或る足の動きに表れているのだが、具体的にどのシーンかを言うとネタバレになるので、それは割愛する。ただ、かんなと、たまこの足の動きに注目して欲しいとだけ付け加えさせてもらう。

演出:ファンタジー表現

 絵の動きに限らず、『たまこまーけっと』でのアニメ表現、演出は破綻はないが一方で、やや単調なところもあった。
 ファンタジーとリアルの融合について、アニメーションは特権的な表現方法を有しているが、『たまこまーけっと』では、ファンタジー=デラ(南の国の人たち)、リアル=たまこ(うさぎ山商店街住民や友人たち)の対比を明確にし過ぎていた。
 デラが異質の存在であることは自明なのだが、それがあまりに自明であるが故に却ってデラに対し、リアル世界における他者の概念が援用され、たまこや地域の人々が形作るシステムに、無批判に組み込まれてしまう。そのため、デラの持つファンタジーの要素は『たまこまーけっと』では、あまり生かされなかった。これはファンタジーとリアルの違いが鮮明過ぎることで起きた逆説的な皮肉だ。


 それに対し『たまこラブストーリー』では、本編中にデラ(あるいはファンタジー的存在)は登場しないに等しいにも関わらず、素晴らしいファンタジー表現が為されている。そのシーンでは、たまこの心象風景が一気に彼女を取り巻く世界に流れ込んできて、リアルからファンタジーへと切れ目なく飛翔していく。
 思い返すと、その場面でたまこが見て、感じていた世界はとても明るく、優しく、彼女にとってまさに夢見心地の世界だった。その夢見心地で、それ故に自らにとってすら掴みどころのない世界を、高校三年生のたまこが読み解き、言語化していく物語こそが『たまこラブストーリー』なのだ。そして答えはこの時すでに、観客には提示されていたのだ。


 しかしながら、もしそのたまこが読み解く以前の心象世界を画面に描くとしたならば、それはファンタジーの手法しかあり得ない。
 ここで思い出すのは、再び『耳をすませば』だ。月島雫という少女の空想と創作の世界と、現実世界での恋物語をパラレルに描いた演出は、ファンタジー映画としても傑出した成果となっている。
 もちろん『たまこラブストーリー』でのファンタジーシーンは一部、というか一場面に限られている。しかし、そこで表現された美しさの絶対値は、決して『耳をすませば』に劣るものではなかった。




追伸 『たまこまーけっと』でのデラ=ファンタジーはあまり生かせれず、却ってデラの登場しない『たまこラブストーリー』で優れたファンタジー表現が為されたと書いた。しかしこれは『たまこまーけっと』でのデラが、布石として存在していたから可能だったとも捉えられる。
 確かに『たまこまーけっと』は、ファンタジーの力を発揮できずに終わった。しかし『たまこ』の世界には、ファンタジーが存在し得るという先入観を観客に与えていたからこそ、『たまこラブストーリー』のファンタジーが自然に成立したと解釈できるのだ。


追追伸 ファンタジーのことに限らず、『たまこまーけっと』は『たまこラブストーリー』に対し多くの布石を残していた。それはシリーズ前作なのだから当然と言えば当然なのだが、『たまこラブストーリー』を観終えた今となっては『たまこまーけっと』が映画の壮大なプロローグだったように感じられてくる。もちろん、そこまで意図して作られていたとは考えにくのだけれど。