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上橋菜穂子『獣の奏者 Ⅰ 闘蛇編』感想。

ファンタジー×物語×少女の成長

 上橋菜穂子獣の奏者 Ⅰ 闘蛇編』読了。とても面白かった。
 以前に『精霊の守り人』『闇の守り人』を読んでいたので、上橋のファンタジー世界の創造力と、物語を組み上げる筆力の秀でていることは認識していたが、本作ではさらに少女の成長物語、つまりビルドゥングロマンスという要素が加味されている。


 日本語話者によるファンタジー児童文学として、これ以上のものはそうそう出会えないだろう。そして勿論、上橋作品についての評価でよく見られるように、『獣の奏者』もまた大人の読者をも魅了する小説と言える。

静けさ

 主人公のエリン。幼くして不幸を背負い、その不幸と向き合い生きる少女。

 「……そう。そういう経緯のある子なのね。十四とは思えない静けさがあるのは、そういうことがあったからなのでしょうね」(講談社文庫版、p279)

 エリンの師となるエサルの言葉だ。ここにある「静けさ」こそがエリンの魅力の核であると思う。エリンは饒舌でもないし、反対にひたすら寡黙というわけでもない。ただ、彼女の言葉は常に誠実だ。
 エリンの「静けさ」とは、単純に音がないということではなく、純粋な音だけが響いている在り様なのだと思う。

知る、考える

 その「静けさ」を纏ったエリンがこれからどのような物語を紡いでいくのだろうか。その一つヒントではないかと思える文章が一つあった。

 「……まだ、知りたいこと、考えてみたいことが、たくさんある」(講談社文庫版、p253)

 エリンは考え続ける主人公なのではないだろうか。彼女が背負った不幸の真の意味を、彼女はまだ知り得ていない。その瞬間に見た光景と、聞いた言葉の意味を理解することがエリンの、そして『獣の奏者』という小説の行き着くべき場所なのだろうと考えている。

追伸

 『獣の奏者 Ⅰ 闘蛇編』を読んでいて思い出した作家が居た。それは北村薫だ。
 先に「ファンタジー×物語×少女の成長」という見出しを書いたが、北村の場合はそれが「ミステリー×物語×少女の成長」となる。具体的な作品で言うと『空飛ぶ馬』以降の「円紫さんと私シリーズ」及び、『街の灯』以降の「ベッキーさんシリーズ」である。


 上橋、北村の両者に共通することは、それぞれ教育者だ(だった)ということだ。 もちろん教育者でなければ少女(少年)の成長を表現できないということはない。ただ、上橋菜穂子北村薫の主人公に対する慈しみと見守るような眼差しは、教育者であればこそと言ってもよいように思うのである。

獣の奏者 1闘蛇編 (講談社文庫)

獣の奏者 1闘蛇編 (講談社文庫)