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米澤穂信『冬期限定チョコブラウニー事件』で小鳩常悟朗と小佐内ゆきはどこに辿り着くのか

 昨日に続いて、米澤穂信の『〈小市民〉シリーズ』についてです。
 『春期限定いちごタルト事件』を読み直していると、「羊の着ぐるみ」の章に或る文章を見つけました。ちなみに「羊の着ぐるみ」の羊は、害のない者つまり小市民のメタファーでしょう、というのは蛇足で、その文章を以下に引用します。

「ねえ、小鳩くん。……小鳩くんは、わかる?渡そうと思ってたラブレターを、チャンスだからってつい、思いびとの私物に忍ばせちゃう気持ちって
「……」
 ぼくは小佐内さんの言葉を聞きながら、このクレープやっぱり甘すぎる、ぐらいのことしか考えていなかった。
(中略)
「わからないなあ。ぼくには縁のないシチュエーションだ」
 まあ、それをわかりたいとぼくらが思うようになれば、そのうちわかる日も来るかもしれない。いま現在は、どちらかといえばどうでもいい。
(中略)
「そうよね。……わたしも、そうなの」

米澤穂信春期限定いちごタルト事件創元推理文庫p56。以下『春期限定』。太字はブログ筆者による)


 ここに、一つの叙述トリックがあると推理しました。
 どういうことかと言うと、小佐内さんが小鳩くんに尋ねているのは「(ラブレターを)思いびとの私物に忍ばせちゃう気持ち」なのです。つまり、小佐内さんはラブレターを渡す人の気持ちは理解しているけれど、それを「思いびとの私物に忍ばせる気持ち」がわからないと言っているのです。
 けれどそれに対して小鳩くんは、小佐内さんの問いの意味を「ラブレターを渡す気持ち」つまり「好きな人に思いを伝える気持ち」がわかるか、と解釈しています。この会話の前に、二人の同級生である高田くんが吉田さんのポシェットにラブレターを忍ばせたことに端を発するちょっとした事件がありました。小鳩くんはポシェットの中のラブレターを見つけたときに「こんなものが出てくるとは思わなかった。実はぼくが想像していたのは、盗聴器の類だったのだ」(『春期限定』p50)と反応しています。この反応はあまりに鈍感です。すなわち、小鳩くんは思春期の男女がラブレターを渡す気持ちに理解が及ばず、かつそれは小佐内さんも同様であると考えているのです。
 その証左に小鳩くんは上の引用で「それをわかりたいとぼくらが思うようになれば」と、小佐内さんを含めた「ぼくら」という言葉を使っているのです。


 この小佐内さんの問いと、小鳩くんの解釈の間にある距離こそが『冬期限定チョコブラウニー事件』(このタイトルはブログ筆者が妄想し勝手に付けたものです。あしからず。)において解決されるべき最も重要な問題だと推理します。おそらくこの『〈小市民〉シリーズ』は小鳩常悟朗と小佐内ゆきが結ばれて終わる物語なのです。『秋期限定栗きんとん事件』のラストを読んで以来、そのように考えています。いまさらですが、この文章はその考えを前提として書いています。
 二人の思いの通じる様がどこまで明示的に描かれるかは、もちろん判然としません。ただ個人的な想いを言うと、小鳩くんがカバンの中に小佐内さんからのラブレターを見つけることが、この物語を結ぶたったひとつの冴えたやりかた、に違いありません。


※ 以下、2015年3月11日の追記
 上の本文でも触れましたが、米澤穂信のいわゆる『〈小市民〉シリーズ』は小鳩常悟朗と小佐内ゆきが結ばれる物語だという予感があります。
 囲みで引用した文章を再読したとき、その想いを一層強くしました。あの引用文は『〈小市民〉シリーズ』の、プロローグを除くとして、第一章のラストに置かれています。この文章の位置こそが重要なヒントでした。
 なぜなら作品の第一章のラストに、物語を決定付ける文章を置いた、或る小説を知っていたからです。その小説は村上春樹の『ノルウェイの森』です。


 「そう考えると僕はたまらなく哀しい。何故なら直子は僕のことを愛してさえいなかったからだ」(村上春樹ノルウェイの森講談社文庫版上巻p21)。
 前後の文脈はここでは割愛しますが、この文章は『ノルウェイの森』という作品の到達点を決定的に示していました。
 この村上春樹と同じように、米澤穂信は『春期限定いちごタルト事件』つまり『〈小市民〉シリーズ』の劈頭の章において、小鳩常悟朗と小佐内ゆきが辿り着くべき場所、すなわち(おそらく小佐内ゆきが)ラブレターを思いびと(=小鳩常悟朗)の私物に忍ばせる瞬間、少なくとも二人が好き合う瞬間をさりげなく示唆していた、そう考えずには居られません。


 はたしてこの、『ノルウェイの森』から連想した考えは突飛でしょうか。『〈小市民〉シリーズ』には「小佐内さんはぼくを言い訳に使う。ぼくは小佐内さんを盾にし、小佐内さんはぼくを盾にする」(『春期限定』p26)だったり、「ぼくと小佐内さんは互恵関係にあるが、依存関係にはなく、まして比翼連理の類では全くない」(『春期限定』p112)などといった旨のことが幾度も書かれています。それらはつまり、小鳩常悟朗と小佐内ゆきの間には、互恵的な約束はあっても感情的な繋がりがないことを強調する為に書かれています。
 しかしだからこそ却って、物語の始まりの章の、その最後の場面で小鳩常悟朗と小佐内ゆきが恋愛(感情)に関する言葉が交わしことの意味を、重く受け留めることができると考えています。

春期限定いちごタルト事件 (創元推理文庫)

春期限定いちごタルト事件 (創元推理文庫)