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塩野七生『海の都の物語 1 ヴェネツィア共和国の一千年』読書メモ(1)

歴史と、そこにある普遍

 たしかに、ヴェネツィアは、共和国の国民すべての努力の賜物である。ヴェネツィア共和国ほどアンティ・ヒーローに徹した国を、私は他に知らない。
 しかし、庶民の端々に至るまで、自分たちの置かれた環境を直視し、それを改善するだけでなく活用するすべを知って行動したのかとなれば、ゲーテだってそうは思わないであろう。理解と行動は、そうそう簡単には結びつかないものである。庶民には、その中間に、きっかけヽヽヽヽというものが必要なのである。行動開始に際してきっかけを必要とする人々を軽蔑する人は、その人のほうが間違っている。この点に盲目でないのが、有能な為政者であるはずだ。

新潮文庫版p37)


 庶民が行動するにはきっかけが必要だ。つまりはそういうことだろう。
 言われてみれば納得もするし、そればかりか、内心にはその認識を持っていたという人もいるかもしれない。ただ引用中に「理解と行動は、そうそう簡単には結びつかない」とあるのと同じように、認識、さらには理解したことを、書くという行動に結びつけることが偉いのだと思う。


 塩野七生は歴史という過去の具象を語りながら、同時に現代までも通ずる人間の在りようを抽象化する。ヴェネツィアの歴史を述べながら、そのなかに浮かぶ庶民の普遍的な在りようを見出し、文字に残す。歴史と普遍その二つが、一本の流れある文章として記されるところに、塩野七生の歴史文学のひとつの面白さがある。上の引用部分はその面白さをよく表している。


▼ 以下は、2016年3月17日に追記

商売というものは、買い手が絶対に必要としている品を売ることからはじまるものである。買い手に、買いたい気持ちを起させるような品を売りつけるのは、その後にくる話だ。

(同上p103)


 最初の引用部と同様に、ヴェネツィアの歴史について書いてる最中に、さらりと商売一般についての言葉を織り込んでいる。歴史に対する具象的な言説と、人間に関する抽象的な言葉を組み上げる巧みさは、やはり塩野七生の文章の魅力の一つである。


ヴェネツィアの現実主義

 折角なので『海の都の物語 1 ヴェネツィア共和国の一千年』の全体的な内容についても記しておく。
 本書はヴェネツィアという現実主義国家について書かれている。最初の引用にあるように、そこは「アンティ・ヒーローに徹した国」であり、「ヴェネツィアでは、ほとんどすべてのことがらが、必要性に結びつけて考えると理解が容易になる」(同上p72)のだ。塩野七生は徹頭徹尾、ヴェネツィアを現実主義国家として捉える。


 現在は観光都市となり、どちらかといえば華やかな印象の強いヴェネツィアである。しかしそこは、一都市国家ながら歴史に強く、そして長く存在を誇示し続けていた。それを可能にしたのは、華やかさなどではなく、地道さや強かさ、慎重さと抜け目のない大胆さだったのだろう。即ち純粋な現実主義である。
 『海の都の物語』シリーズの第一巻を読み、そう理解した。この理解は残りの巻を読んでも、おそらく覆ることはない。それほどに塩野七生の文章は、明確な意志と意図を持って書かれているのだ。

海の都の物語 ヴェネツィア共和国の一千年 1 (新潮文庫)

海の都の物語 ヴェネツィア共和国の一千年 1 (新潮文庫)