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『シュリーマン旅行記 清国・日本』感想  〜 偏見なき知性 〜

 ハインリッヒ・シュリーマン。トロイヤ遺跡の発掘で知られた人物である。
 しかし、そのシュリーマンが幕末期(1865年)の日本を訪れていたことは、あまり知られてないのではないか。本書はトロイヤ発掘に先立つ6年前、世界を旅行をした彼が、清国と日本についてした著述を翻訳したものである。

世界の他の地域と好対照をなしていることは何一つ書きもらすまいと思っている私としては、次のことは言わなくてはなるまい。すなわち日本の猫の尻尾は1インチあるかないかなのである

(H・シュリーマン/石井和子訳『シュリーマン旅行記 清国・日本』講談社学術文庫p129。以下の引用は全て同書から)

 この引用文章はシュリーマンの未知の世界への観察態度を端的に表している。旺盛な好奇心によって対象はあらゆるものに及び、同時に1インチという数量化が示すように客観的な観察態度である。


 シュリーマンの日本での滞在日数はわずか1ヶ月だった。その短い期間に彼は驚くほど多くのことを観察し、理解している。
 統治機能としての「オオメツケ」(p168)や、江戸の社会階級(p156)から、日本の調度事情(p84)、清潔さ(p87)、あるいは上のような猫の尻尾に至るまで、彼の観察対象は幅広い。
 かつ、その観察眼は客観的だ。これは日本ではなく清国の万里の長城についての部分(p42~50)だが、長城の様相や、そこからの風景はもちろんのこと、長城の様々な箇所の高さや幅、さらに使われている煉瓦の大きさまで、細かく数字によって記録している。


 本書から窺い知れるシュリーマンは、驚くほど予断や偏見なく清国、日本を見ている。彼の、様々な事物に興味を向け、同時に絶えず客観的である観察態度は、その偏見のなさが土台にあり、そこで通底しているのだろう。
 そして、そういった予断や偏見のない知性に触れられる点に、シュリーマンによる本書の価値を感じる。


 また、もちろん本書には時間的、空間的に離れた場所を追体験する楽しさもある。シュリーマンの文章はいたって平易である。しかし、彼の見た150年ほど前の清国と日本の風景がよく浮かんでくるのだ。北京、上海、横浜、江戸。彼の文章は、彼が見た風景をありのままに伝えてくる。
 読書が、己とは別の人生を追体験する手立てであるなら、本書はその役を実に上手く果たしている。


 『シュリーマン旅行記 清国・日本』はとても優れた紀行文である。

シュリーマン旅行記 清国・日本 (講談社学術文庫 (1325))

シュリーマン旅行記 清国・日本 (講談社学術文庫 (1325))