ナイフとフォークで作るブログ

小説とアニメ、ときどき将棋とスポーツと何か。


近藤喜文『耳をすませば』再鑑賞メモ 〜窓に映る鏡像のこと等々〜

 「金曜ロードショー」で年始に放送された『耳をすませば』の録画を鑑賞したので、観ていて気が付いたことを幾つか書き留めました。各項目間の関連性は特にありません。
 本作品はこれまで幾度も観てきました。それでも尚、気付かされることは尽きないものです。

窓に映る鏡像のこと

 雫が初めて地球屋に入る場面、彼女の姿はドアのガラスに映り込む鏡像により描かれています。さりげなくですが映像作りの良いアクセントになっていると感じました。
 また窓に映る鏡像に関してはもう一つ、父親の弁当を持って図書館へと向かう雫が、ムーンと共に電車に乗る場面も印象的でした。電車の外側に置かれたカメラから窓外を眺めるムーンを捉えた映像で、窓に映る街並みが自然な透明感でムーンに重ねられていたからです。

その場限りのセリフは無い

 夏休みに雫と夕子が学校で集まった帰り道、夕子が「雫の家は勉強勉強って言わなくていいなあ」といった内容のこと(正しい語句をメモし忘れました)を言います。このセリフを聞いた際に、これは、その後の雫の成績低下問題に深みを与える伏線としてだけでなく、夕子自身の物語においても、後に父親と口を利いてやらないという状況が訪れることへ繋がっているのだと気が付きました。
 些細なセリフであっても、物語の中で有機的に発せられ、その場限りのセリフなど無いのだ思い知らされました。

ドワーフの王は聖司で、エルフの姫は雫

 地球屋で修理されていた古時計は、仕掛けが動くと、下からドワーフの王がエルフの姫を見上げ、エルフの姫が下にいる王を見つめ返すという構図が現れました。これは映画のラスト、アパートの外にいた聖司が雫を見上げ、アパートの部屋にいた雫が自転車に乗る彼を見つめ返す姿と美しく重なります。

杉村の潔さ

 クラスメートの杉村が神社の境内で雫に振られる場面。彼は「ただの友達か?これからもか?」という問に対し、雫が頷いたことを確認すると、すぐに去っていきます。その杉村の潔さを羨ましいと感じました。人間なかなか潔くなれないものです。
 またこの場面については、とり残された雫が帰りの電車で席に座れず佇む姿を捉えることで、彼女の動揺を丁寧に表現していると感じました。

作品を完成させること

 地球屋の主人が、バロンの登場する物語を書きたいと言う雫に「最初の読者にしてくれること」を条件として出します。これは完成させることの意味を知る職人の言葉であればこそ、より深みが増すのでしょう。

畳の色

 姉の汐が家を出ていった後の雫の部屋では、姉妹のスペースを隔てていた二段ベッドが隅に寄せられています。かつてベッドがあった部分の畳の色だけが鮮やかに残されています。

父から聖司へ

 書き上げた物語を地球屋へ届け、家へと帰ってきた雫。力を出し切り風呂にも入らず寝ている彼女に、父親が布団を掛けてくれます。
 そして、その翌朝目を覚ました彼女は聖司と再会します。雫にとって最も身近な男性が、父から聖司へと変わる様子が鮮やかに表現されていました。


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耳をすませば (集英社文庫(コミック版))

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佐賀純一『戦争の話を聞かせてくれませんか』感想  〜戦争と日常の距離〜

 私は戦争を知らない世代の人間です。ただ、祖父母や数人の先輩方から戦争体験を聞いたことがありました。
 本書『戦争の話を聞かせてくれませんか』は、佐賀純一が市井のごく無名の方々が語る戦争体験に耳を傾け、文章にまとめたものです。それらの体験談を読むに際し、わずかとはいえ私自身が戦争体験を聞いた記憶が、読み解くための有効な手がかりとなりました。
 自分が聞いた戦争の風景とは別の風景。しかし、それぞれが確かに繋っている戦争の風景を、本書を読み、知りました。


 各体験談に語られている内容は、もちろん凄惨なものが多いです。しかし一方で、戦争開始時期の日本国民の高揚、興奮を表した言葉もあります。なかでも印象的だった言葉は「夏目坂と焼夷弾」にありました。

 開戦の朝は、はっきり覚えています。七時のラジオで「帝国海軍は本八日未明西太平洋において米英軍と戦闘状態に入れり」という放送を家族全員で聞いて、全身が熱くなってワナワナと震えるような興奮を覚えました。

(※佐賀純一『戦争の話を聞かせてくれませんか』新潮文庫、2005、p123。以下引用は同書から)
 とかく戦争といえば消極的な言葉で語られがちですが、ある時代の日本人がそれを積極的に肯定していたことはやはり無視できません。そのことを強く思い知らされました。


 また不思議なことに、どの体験談を読んでいても言葉の端々から「戦争」のなかに「日常」を見いだそうという意思が感じられました。戦争と言う極限状態にありながらも、ささやかな日常がまだ残されていて、それを確認したいという欲望を多くの人が持っていたのかもしれません。あるいは長い時を経て、語り部たちは、戦争にも日常があったと感じたいと望んだのかもしれません。
 そういった戦争と日常の混ざり合いを理解するヒントになりそうな言葉が、筆者あとがきにありました。

戦争はいつの間にかどこからかやって来て、日常生活と同居し、やがて日常を占領したのだ。つまり日常の延長がいつの間にか戦争になっていたのだ

(同書 p376)
 おそらく日常を完全にふり払った戦争などありえないもので、だからこそ各人の戦争体験談には、死と隣り合わせになった状況にしては些か不思議な人間味ある精彩が帯びているのかもしれません。


 戦争体験者が次々と世を去るなか、ますます戦争の話はリアリティーを失っていくでしょう。本書のような作品はその流れに抗う小さな力になると思います。少しでも多くの人に読まれるとよいなと思います。

戦争の話を聞かせてくれませんか (新潮文庫)

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木村義雄『ある勝負師の生涯 将棋一代』感想  〜 垣間見られる戦前の生活、風俗が興味深い 〜

 木村義雄、将棋界の実力制第一代名人であり、第十四世名人(永世名人資格獲得による)である。


 タイトルに『ある勝負師の生涯』とあるが、木村義雄の生涯の初めから終わりまで描かれているわけではない。幼い時期から、一度失った名人位を再奪還復位するまでの姿が描かれている。


 本書からは当然、大成した木村義雄という将棋棋士を知ることもできるし、あるいは、木村の師匠である関根金次郎十三世名人の英断により、家元制名人時代から実力制名人時代へと変容する将棋界の歴史を知ることもできる。
 一方、そういった将棋に関する面とは別に本書を読み面白いと感じたのは、大正期から昭和初頭つまりは戦前の人々の生活、風俗が垣間見られたことである。


 木村の生家は貧しい下駄職人の家であり、幼い弟を病で亡くしたり、妹を口減らしのために他家へ出さざるを得ないということもあった。また木村が少年の頃に病気で亡くなった母は、たった一度しか病院へ行くことができなかった。そういった剥き出しの貧しさに、木村義雄という窓を通して触れることができた。
 また、とうとう店立を食うという事態に至った木村一家を助け住まわせてくれたのも、同じように貧しい人たちだった。貧乏人が寄り添いながら暮らしていく風景など、現代から見れば容易には想像できないが、そういった風景を知ることができた。


 貧困にあえぐ人々がいる反面、当時はまだ華族がいた時代でもある。華族の人間は有望な若者を養ったり、文化の保護者となったりすることがあった。事実木村義雄も、好んで将棋を援助した柳沢保恵伯爵家に書生として住み込み、慶應普通科に通った。これこそ、かつて日本にもあった社会的階級の一例であろう。


 木村一家が浸かっていた貧しさや、華族との関わりは本書の主題ではないかもしれない。しかしそういったバックグラウンドもしっかり描かれていることによって、木村義雄という棋士の姿が一層際立って見えてくる。そして私はその背景の方に、より強い面白さを感じたのである。


 余談になるが、本書の最後の文章は木村義雄の父について綴られている。また本書のうちで、木村が家族について書いた文章からは優しさが色濃く感じられる。それはやはり、かつて貧しさのために甘んじて受け入れざるを得なかった苦しみ、悲しみが源となっているのだろう。


 もう一つ余談になるが、本書の巻末に「父の思い出」という木村義徳木村義雄の三男)の文章が載せられている。そこに義徳が祖父(つまり義雄の父)から聞いた明治末の逸話が少しだけ書かれている。中にはコレラが流行ると魚が安くなり、ここぞと庶民が刺身を食べるというものがある。とても興味深く読んだ。


ある勝負師の生涯―将棋一代 (文春文庫)

ある勝負師の生涯―将棋一代 (文春文庫)