ナイフとフォークで作るブログ

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メル・ギブソン監督『ハクソー・リッジ』感想  〜そのときデズモンド・ドスは英雄ではなかった〜

 デズモンド・ドスは米国軍人でありながら武器を持たずに従軍し、第二次世界大戦沖縄戦の激戦地「ハクソー・リッジ」において75名の命を救う。まさに、英雄的といえる行動だった。


 しかし、彼は負傷者を救い始めた瞬間から英雄だったのだろうか。それは違うだろう。なぜ違うのか、それについては後ほど述べたい。


 だがともあれ、単独で75人もの命を救ったという結果から眺めれば、彼は紛れない英雄である。そしてなにより、彼はそうなりうる人物だった。監督メル・ギブソンによって多角的に描かれたデズモンド・ドスの姿から、彼が英雄となりうる人物であったことが知れる。まずはその点について述べる。
 

デズモンド・ドスのこと

 デズモンド・ドスを構成する人格、人柄のうち幾つかの要素が、彼の英雄的な行動を支えた。本作中に描かれた彼の姿から、それらの要素を読み取っていく。


 一つに信仰があげられる。彼は信仰心の厚いキリスト教徒だった。そのために良心的兵役拒否者でもあった。また、兵役に就いて以降のドスはフィアンセからプレゼントされた聖書を肌身離さずに持っている。
 一方で、ドスの父は神を信じない人物として対照的に登場する。第一次世界大戦に従軍し多くの仲間を失った悲しみから、彼は神を否定しアルコールに依存する。そのこともドスと信仰との関係に、別な角度からの深みを与えている。


 二つ目にドスの信念をあげたい。これは彼の信仰とも繋がる。しかしその信念による制約は、信仰が求める度合いを越えている。
 ドスは軍人になりながら武器を持たなかった。彼が武器を持たなかった理由は、部分的には「汝、殺すなかれ」というキリスト教の戒めによっている。だがその戒めは、武器を手に取ることまでは禁じていない。ならばなぜ、ドスは武器を持たなかったのか。それは、自らの家族に対し暴力を振るってしまった二度の経験への、後悔と苦しみのためである。
 その二度の悔やむべき経験から、ドスは決して暴力を振るわないという信念を胸に抱き、武器を持つことを拒否する。


 また、ドスは丈夫な身体を持っていた。体型だけを見ると華奢に見えるが、障害を踏破する訓練での成績は一等だった。観客は、幼いドスが兄弟と山野を駆け回っている姿をすでに目にしているので、彼の身体能力の高さに疑問を抱くことはないだろう。


 そして、フィアンセの存在がある。彼女はドスにとって神と同等に大切な存在だった。彼が戦場で肌身離さず持った聖書は彼女からのプレゼントであるし、その聖書には常に彼女の写真が挟まれていた。


 最後にドスの性格が楽天的だったことをあげたい。兵役に就いて以降、武器を持たないことで彼が上官から詰問される場面がある。そんな緊張すべきときでも彼はナーバスにならず、ときにジョークを飛ばしたりする。そういった楽天的な性格も見逃してはならない。


 以上のように、信仰、信念、丈夫な身体、大切な人の存在、楽天的な性格と、監督メル・ギブソンはドスという人間を多面的に描いた。そしてそれらの要素が合わさり、75人の命を救うという彼の英雄的な行動を支えたのである。
 

疑問への回答

 ではここで冒頭にあげた「彼は負傷者を救い始めた瞬間から英雄だったのだろうか」という疑問に戻りたい。そしてやはり、それは違うだろう。


 ドスがいたのは戦場である。戦場という極限的状況を前提としなくては、違うという主張を説明することはできない。
 激しい戦闘が続く極限的な状況で、ドス自身の心が壊れそうになるシーンがある。彼が神に「声を聞かせてください」というシーンだ。そのとき彼が神の声を聞いたかどうかは分からないし、それは重要なことでもない。ただ、その後から彼は仲間を救う行動を始める。
 ドスは自身の壊れそうな心を守るために、仲間を助け始めたのだ。あるいは神の声を聞いたのかもしれないが、それが表現されなかった以上、啓示に動かされたと考えるのは正しくないだろう。
 むしろ、ドスは心が壊れそうになっている自分を守るために、仲間を助けるという行動を利用したのだ。戦場で負傷兵を収容することは危険で、すぐに死んでもおかしくない。しかし彼はマシーンのように行動する。


 人間は悲惨な状況下で自分を守るために、普段とは別な行動原理に身を委ねることがある。本来ある心を、別な何かに置き換えるのだ。いわばエヴァンゲリオンのダミープラグのようなものだ。
 そして、ドスは自らの心を守るために、その働きを仲間を助けるという行動に特化させる。彼の行動は偏執的にさえ見える。しかしそれは当然で、そのように心のチャンネルをスイッチさせなければ生きられなかったのだ。


 そして忘れてならないことは、ドスに人命を救う行動によった自己防御という方法を選ばせ、可能とさせたものこそ、メル・ギブソンによって掬い上げられたドスという人間の多面的な要素なのである。
 ドスの信仰、信念、丈夫な身体、大切な人の存在、楽天的な性格が組み合わさり、仲間を救い続けることにより、自らも助かることを可能とし、戦場を生き抜くことができたのだ。


 ドスの行動はまさに英雄的だった。しかし、その始まりから英雄だったのではない。まずドスが救おうとしたのは、他の誰でもなく自分自身だったからだ。生きるために行動し、結果として彼は英雄になった。ただ彼の行動の根本にあった苦しみを見逃すことはできないのである。


 デズモンド・ドスは英雄になるべくしてなった。しかし最初の瞬間から英雄だったのではない。そう考えている。


桜庭一樹『私の男』を読んで  〜土地と女と男と〜

 桜庭一樹は土地を描く。
 桜庭一樹作品の登場人物は、ある土地において(『私の男』では奥尻と紋別)、周囲から期待される居場所と、自分が心地よいと思う居場所の間に齟齬があり、その齟齬を埋められずにいる人たちだ。

 彼らのうちの幾人かは、その齟齬と何とか折り合いをつけて生きていく(例えば『赤朽葉家の伝説』の万葉)。

 また、彼らのうちの幾人かは、その齟齬に傷つき(例えば『少女には向かない職業』の二人の少女)、ときには土地から弾き出される。

 『私の男』は、土地から弾き出された人物についての物語だ。そして、弾き出されながらも、真実は、キタと海に誰より強く囚えられ続ける女と男の物語が『私の男』なのだろう。

私の男 (文春文庫)

私の男 (文春文庫)

司馬遼太郎『歴史の世界から』読書メモ

 司馬遼太郎『歴史の世界から』を読んでいて気になった文章を引用し、コメントを添えています。作品自体が、短いコラムを集めて編まれた書物なので、引用ごとの関連性はほとんどありません。個別に読んでください。


家康の罪

 しかし、家康は功罪が大きいな。
 なにしろ、彼の家系を維持するためにわれわれ日本人は、三百年、たった一つのその目的のために侏儒(こびと)にされましたからね。

司馬遼太郎『歴史の世界から』中公文庫、1988、第六版、p53。以下引用は同書から)

 もちろん江戸時代に価値が全く無いわけではありません。しかしその三百年間に逸失したものは何でしょうか。
 具体的な技術や、形而上的な思想以前に、より純粋な人間活動の自由や合理性を制限し、矮小化させたことを批判し「侏儒」と言ったのだと思います。


「待てる」家康

「待つ」ということが家康の特技であった。並みな人間はあせる。「やがて運はまわってくるさ」と、悠々とその間、自分の手近な仕事を深めていける人物はすくない。家康を後年天下人にさせたのは、この「待てる」という才能も大いにあずかって力があった。

(同上、p62)

 「司馬史観」という言葉が使われることがあります。
 そう言ってしまうといかにも、司馬遼太郎が歴史全体にまで焦点を広げて小説を書いたように思えます。だがそれは違うでしょう。司馬にあったのはむしろ「司馬人間観」であす。その「人間観」が小説を支えているし、それ故に歴史の流れは脚色もなされて書かれています。
 その事実を無視して「司馬史観」が日本の歴史学をダメにしたと言う人もいますが、もとよりそんなものはありません。作品の柱にあるのは司馬が徳川家康坂本龍馬西郷隆盛等々挙げれば切りがありませんが、彼らをいかに見たかという「人間観」なのです。


日本の競争原理

日本は明治初期から非常にアメリカ風ですね。アメリカから学んだわけではなく、偶然似ているんです。競争することはいいことであり、勝ったものがすべて正義になるんだ、という原理ーー日本にはもともと原理なんかないんですがーーしいていえばこの競争原理があります。

(同上、p148)

ただ猛烈な競争社会だけならまだしも、日本の場合は「過当競争社会」ですからね。ある意味ではアメリカの経済社会よりひどいわけでしょう。抑制力の乏しい競争社会だから怖い。

(同上、p149)

 競争という言葉が使われているために些か分かり辛いです。競争と云えば何らかの優劣があるように思えますが、日本の場合は違うでしょう。単純比較できる優劣という乾いた基準ではなく、もっと湿った正体不明の空気が情勢を支配しています。
 日本では同じような問題を起こしても、ひどく批判される人と、さほど批判を受けない人がいます。具体例は上げませんが、批判してよいという空気が醸成されたときに、日本で見られる不条理さは目に余ります。「抑制力の乏しい競争社会だから怖い」とは、そういった点を指してのことではないでしょうか。


純粋防衛論と虚構

純粋防衛論はどの国のどの歴史段階でもつねにうそであり、そのくせ国民的合意を得やすい「虚構」の上に危機意識をもって構築される。

(同上、p177)

 近頃の集団的自衛権の解釈拡大や、共謀罪について何事かを考えさせられます。


分析されなかった日露戦争勝利と、そのことの弊害

各段階ごとの野外決戦における日本軍の結果的な優勢(定義があいまいのままで使われるいわゆる「勝利」)は、その理由を、ふつう天佑神助とか、将兵の勇戦奮闘とか、作戦の優越とかいった実証不能の抽象的理由に従来帰せられ、それがやがては戦後半世紀にわたって日本軍隊の神秘的優越をその民族内部で総がかりで信じこませるもとを作り、ついには民族ぐるみで自民族の認識を病的にしてしまった」

(同上、p226)

 これは日露戦争について書かれた箇所です。ですので戦後とあるのは日露戦争後ということになります。しかし第二次大戦後に治まったかに思われた、病的な自民族の認識は現在において、再び転移発症しているように思えます。


日露戦争の分析と研究および教訓をひき出すことについては、観戦武官を出した欧米諸国および敗戦した帝国をひきついだその後のソ連において活発であったのに比して、日本陸軍においてもっとも不明晰で不活溌であったことは、歴史の本質もしくは日本社会のなにごとかを考える上で示唆をふくんでいるといっていい。

(同上、p228)

 「歴史の本質もしくは日本社会のなにごとか」の具体的な顕現がつまり、現在起きつつある病的な自民族の認識の再発でしょう。となると、司馬遼太郎の歴史への洞察の鋭さがはっきり捉えられます。
 もちろんその洞察が当たって欲しかったか否かは、別の問題ですが。


シベリア抑留という棄民

シベリア抑留とは言葉はきれいだが、実態は古代の戦時奴隷そのもので、それよりもあるいはひどかったかもしれない。当時の日本国は、敗戦の結果による連合軍の占領下におかれた非独立国だったために、これに対して国家としての抗議はしなかった。まことに痛ましいことながら、棄民だったといっていい。

(同上、p240)

 シベリア抑留は、知っていてもどう受け止めてよいかが判然としませんでした。しかし「棄民」という言葉から伝わるものがありました。


日本語散文の黎明

散文に一種の神秘性に近いものをもとめる傾向は、千年にわたって中国の文章および文章に関する思想の影響をうけてきただけに、日本ではすくなくともヨーロッパ語圏よりも濃厚かもしれない。

(同上、p245)

私どもが夏目漱石正岡子規、もしくは森鴎外を所有していることの大きさは、その文学より以前に、かれらが明治三十年代においてすでにたれもが参加できる文章日本語を創造したことである。

(同上、p247)

 散文から神秘性を排除し、ものごとの正確な描写を可能にした。それはその通りだし、よいことだったでしょう。
 ただ、ものごとの正確な描写と論理的な正確さばかりになった現代の散文に浸っていると、神秘性のある散文に別な魅力を感じたりもするのも否定はできません。


合理的精神の普遍化と経済

私は合理的精神を社会に普遍させてゆく力は、商品経済・貨幣経済であるように思っている。

(同上、p247)

 明治帝国の空虚さや、征韓論の虚しさは、この商品経済・貨幣経済の実力が伴っていなかったためでしょう。(※同書、p176参照)


神道における杜

神道という名もなかった日本の固有信仰というのは社をあがめることであった。はるかに降って信仰を賢らに飾る思想が出てきて、社殿ができ、職業神官が棲みつき、さらにこんにちでは神社を神主の暮らしのたねにするようになった。

(同上、p300)

 神楽坂の赤城神社、京都下鴨神社糺の森等々。杜を潰してコンクリートマンションで埋めるようなことは本当に止めて欲しいです。