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東野圭吾『眠りの森』感想  〜浮つく加賀恭一郎〜

 『眠りの森』を読み始めたとき、加賀恭一郎が浮ついていると感じました。あからさまにバレエダンサー浅岡未緒にうつつを抜かしていたからです。しかし最後まで読んで納得しました。本作は当然推理小説ですが、同時に男女の出会いの物語だったのです。


 一度だけ見たバレエで心惹かれたダンサーに、事件を通じて出会う。なんともロマンチックなストーリーです。しかしこのやや装飾的過ぎるともいえる展開も、読み通すと加賀恭一郎らしい生まじめな物語に仕上がっていました。
 最初に浮つく加賀恭一郎を描写したのは、やはり伏線でしょう。推理小説にしては些か軽佻ともいえるセリフを差し挟む(※)ことで、読者に違和感を与え、加賀恭一郎の浅岡未緒へのただならぬ想いを示唆していました。


 しかし、さしもの東野圭吾。その導入を過ぎると事件をめぐるミステリーを中心に据え、加賀恭一郎の想いは抑制的に描きます。そうすることで一度は浮ついた作品に重みを取り戻しています。そのバランスは東野圭吾が意識的に調整したはずです。
 そして最後の最後に、加賀恭一郎の想いを一気に発露させます。そこまで読んで、始まりからの加賀恭一郎の気持ちの強さが理解できるのです。


 あくまで事件と推理を中心に置きつつ、その始まりと終わりを男女の出会いについての物語で挟んだところが『眠りの森』という作品の優れた個性だと思います。
 しかもその始めと終わりの部分が決して断絶しているのではなく、事件解決の推移と平行する物語としてしっかり繋がっています。
 つまり本作は推理小説としてだけでなく、同時に、恋愛小説としても魅力的な作品なのです。そして、その作品構成を成功させた東野圭吾の筆力は、流石の一言に尽きます。


 ※:最初の事件当夜、車で浅岡未緒を家まで送る加賀恭一郎は、彼女に希望を与えるような予断を許す話し方をしています。これは推理小説の主人公にしては随分軽はずみに思われます。
 そして極めつけは別れ際の「加賀です。加賀百万石の加賀」。
 殺人が絡む推理小説の冒頭に、女性に自分の存在をアピールするセリフを言うのは、あまり相応しいものと思えません。その辺りはすべて東野圭吾の張った伏線でしょう。(東野圭吾『眠りの森』講談社文庫版、p21〜p24)

眠りの森 (講談社文庫)

眠りの森 (講談社文庫)