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百伍圓読書録5:宮部みゆき『火車』を読みました!

私的、宮部みゆき体験


 宮部みゆきの作品を読んだのは、この『火車』が二作品目で、はじめに読んだのは『ブレイブ・ストーリー』でした。つまり宮部作品の経験は少ないです。
 正直なところ、宮部みゆきという作家に対する認識の持ち様すら、まだ定まっていません。SF、ミステリー、時代物、ファンタジーと広いジャンルで活躍しながら、それでもなお本格派の小説家であるという印象を、漠然と抱くだけです。

『火車』へのイメージ

 しかし、宮部みゆきは現代を代表する作家です。なにか読んでみようと『火車』を手に取りました。この作品は十数年前に友人が読んでいる姿を目撃し、恐ろしげなタイトルだと感じた思い出があります。「火車」という言葉から連想される地獄のイメージが強かった為です。
 読むと、想像していた恐ろしさとは違う怖さを覚えました。それは劫火の激しさではなく、地中で燻り続ける泥炭の不穏さからの恐怖でした。静かではあるが、止むことのない炎です。


 やはり、小説は読まなければ分かりません。直接に接して『火車』の捉え方が変わったように、その他の作品も読み、これまでぼんやりとしか捉えてこなかった宮部みゆきという作家を、より深く知りたいです。『火車』を選び、読んだことでそう考えるようになりました。
 とてもよい読書体験でした。


感想

構想について

 『火車』を読んで感じたのは、構想の堅牢さです。この「構想」は「着想・アイデア」とは違い、「構成」あるいはもっと噛み砕いて「筋立て」といった面を指しています。
 主人公の本間が人と会う順番、場面ごとの舞台の変遷、そして謎が明らかにされていく速度と順序、そういった作品の「構想」に隙がありません。


 物語の設計図、あるいは地図が、作品の背後にこれほど強く感じられる作品は、そうそう無いと思います。この「構想」の確かさに『火車』の魅力を感じるのと同時に、作者宮部みゆきの才能を目の当たりにする想いがしました。

小説×ルポルタージュ

 また、もう一点感じたことは、『火車』が小説でありながら同時に、ルポルタージュだということです。もちろん作品自体はフィクションであり、具体的に存在する個人を追って書かれた文章ではないことは確かです。


 そうではなく架空の関根彰子、新城喬子という二人の女性を通して、戦後、クレジットカードが社会に浸透する中で生じた闇を、非常に分かりやすく描写しています。そのルポルタージュ的要素が強い分、登場人物の発言や思考は説明的になりがちで、闇に落ちる二人の女性の心情を表現し切れていない部分もあります。しかし作品の大事な主題は、クレジットカード社会の歪みであり、それを物語として描く点がこの作品の存在理由だったのではないでしょうか。


 そして、その物語とルポルタージュの融合を可能にしているのが、先に書いた宮部みゆきの「構想」の確かさではないでしょうか。つまり『火車』は、宮部みゆきの高い構想力という才能を、非常によく示した作品に思えるのです。
 まだ二作目の宮部体験ですが、『火車』を読むことで、宮部みゆきという作家を理解する際の大切な立脚地を得られた気がします。

2013年9月11日追記


 「百伍圓読書録」というのは、ブックオフなどの105円コーナーで気軽に手に入る作品を取り上げて、ごく簡単に感想を書くという記事です。


 本を手に入れる手段として、ブックオフは如何なものかという意見もあろうかと思います。しかしながら、誰かに読まれなければ、本は本として存在する意味がありません。だからこそ、食わず嫌いをしてきた作家や作品への入り口として、105円コーナーはうってつけだと思います。
 もちろん、そうやって気に入った作家が見つかれば、どんどん新刊を購入しましょう。個人的にはそれでよいと思っています。読まないよりは、よいはずです。


 さて、宮部みゆき作品についてですが、人気作家ということもあり、新しい作品を除けばどれも105円コーナーに並ぶ可能性は高いです。ただし、作品ごとの発行部数に差がありそうなので、見つけやすさには差があると思います。映画化、テレビドラマ化された作品は発行部数が多いと思います。今回の『火車』はミリオンセラー作品なので、かなり手に入りやすいはずです。

火車 (新潮文庫)

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