米林宏昌監督『思い出のマーニー』感想 〜 子供を子供として描くこと。〜
子供を子供として描く
『思い出のマーニー』は、子供を子供として描いた映画だ。それは当たり前のことのようでいて、簡単なことではない。映画に物語を与えるならば、人物の性質のある面を誇張したほうが作り易い。特に子供は朗らかでときに不機嫌で、気まぐれでときに頑なで、優しくてときに残酷だ。その不安定な子供を、そのままに描くことは手間がかかる。
しかし米林宏昌は、杏奈とマーニーの未熟さから目を逸らさずに物語を完成させた。もちろんそこには、名作児童文学と云われる原作の力も介在しているだろう。しかしより高い娯楽性を求められるアニメーション映画において、子供らしさを切り捨てない米林の表現は力強かった。
杏奈とマーニー、そして彩香
杏奈とマーニー。姿(絵)少し大人びているように見えるけれど、二人はまだ子供である。けれど、二人が共有する世界は決して子供だけの世界ではない。それはより普遍的で、子供から老人までが心のどこかに抱えている世界だ。この点に関しては、三浦しをんが劇場版パンフレットに寄せた文章で鋭く考察しているので、興味があればそちらを読んで頂きたい。
また、杏奈とマーニーの世界は二人だけの閉じた世界でもない。方向は重ならないが、二人は世界を少しづつ広げていく。杏奈が、そしてマーニーが辿り着いた先に出会ったものが何であるかが作品の核である。その何たるかはぜひ映画館で確認して欲しい。
ここでは杏奈が自分の世界を広げる最中に出会った友人について少し触れたい。
彩香という少女は湿っ地屋敷の新しい住人だ。朗らかで無邪気で兎に角も陽性な彼女は、上に書いたことと照らすならば子供らしさを切り捨てられた存在と言える。それは脇役故の悲しさだろう。一方で彩香は、杏奈にとっての試金石として重要な役割が与えられている。杏奈の物語に手応えが感じられるのは、マーニーだけでなく、この彩香が居ればこそだ。
高畑勲の後継者?
上に、米林宏昌は子供を子供として描いたと述べた。このあり様は、スタジオジブリの二大巨匠宮﨑駿、高畑勲と比べるならば、高畑勲の表現に近いように思う。高畑勲が『おもひでぽろぽろ』や『かぐや姫の物語』で見せた成長期の少女の細やかな心理描写は、宮﨑駿が手を出さなかった分野であり(※)、しかし『思い出のマーニー』にはそれが描かれている。もちろん、だからといって米林宏昌が高畑勲の後を進むと決まったわけでは全くない。『思い出のマーニー』を観た直後の、現時点の感想として、米林宏昌の表現に高畑勲と似た匂いを感じただけである。
ただ、ともすればスタジオジブリ=宮﨑駿と認識され兼ねない状況があるなかで、それだけではない多様性がスタジオジブリにあることを『思い出のマーニー』ははっきりと示している。
※:たとえば『となりのトトロ』はサツキとメイの成長物語とも見られるが、成長過程でのトトロとの出会いという一事件を描いた物語と見る方が、より正確だろう。
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