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H・ケメルマン『九マイルは遠すぎる』感想  〜短編だからこそじっくりと〜

 『九マイルは遠すぎる』(永井淳深町真理子訳、ハヤカワ・ミステリ文庫、1976、以下引用は断りのない限り本書から)を読みました。
 私はミステリーの熱心な読者ではないので、有名作品を摘み読むことが主です。本作はいわゆる安楽椅子探偵ものの代表的作品なので、これはと手に取りました。ところで『九マイルは遠すぎる』と言うタイトルはすごく格好いいなと思います。

短編だからこそじっくり

 本作には8作の短編が収録されています。どの短編も、さほど複雑なトリックは仕掛けられてはいないので、さっと読み通すことができます。けれど、短い作品だからこそじっくり読み込むという楽しみ方もあると思います。それこそ安楽椅子にでも座って。
 長編作品はいざ解答編という段になり、様々なヒントを読み返すことは骨だったりします。もちろんメモを取りつつ読むなどの工夫はあるでので、無精な自分がいけないのですが。
 一方、短編であれば解答編が始まりそうなところで読み止めて、それまでの内容を見返すことは容易です。『九マイルは遠すぎる』はそういった読み方にうってつけの作品でした。
 また読み返す際には、探偵ニッキイ・ウェルトによるクライマックスの推理が始まる前で立ち止まるのもよいし、あるいはもう少し手前で、物語の語り手でありワトソン役でもある「わたし」が担当するズレた推理の前で立ち止まり、「わたし」の推理も含めて二方面で推理してみる手もあるでしょう。

並び順の問題

 『九マイルは遠すぎる』は、発表年代順に短編が並んでいます。ただ読み終えてみると、冒頭に置かれた表題作から読み始めると少し分かりづらい、ないしは作品世界に入りづらいと感じました。
 というのは「九マイルは遠すぎる」には、多くのミステリーにはあまり見られない特徴があるからです(※)。またこの短編には、登場人物の関係や性格が細かく書かれておらず、作品世界への取っ掛かりになりづらいのです。
 個人的には6番目に置かれた「おしゃべり湯沸かし」がニッキイの推理の方法や、彼と「わたし」の関係などを分かりやすく織り込んでいて、本短編集の入り口としてオススメです。まずそれを読み、改めて頭にある「九マイルは遠すぎる」に戻り読み進めていくという算段です。作品間の時系列は重要ではないので、その点の心配はありません。


 ※「九マイルは遠すぎる」では終始、ニッキイ・ウェルトの持ち出した命題(「十語ないし十二語からなる文章があれば、その文章を作ったときには思いもかけない一連の論理的な推論を引き出しうる」※※私の要約です)について、それが「わたし」の与えた「九マイルもの道を歩くのは容易じゃない、ましてや雨の中となるとなおさらだ」(p19)という文章にも言い得るかという(疑似)演繹的な証明が語られています。
 これはミステリー全般を見ても珍しいタイプの作品展開だと思います。また『九マイルは遠すぎる』に収められた他の7編にも同様の作品展開は現れません。
 なお蛇足ですが、「九マイルもの道を歩くのは容易じゃない、ましてや雨の中となるとなおさらだ」の原文は「A nine mile walk is no joke, especially in the rain」でした(※※※ https://books.google.co.jp/books?id=fybfCQAAQBAJ&hl=ja&source=gbs_navlinks_s を参照)。

九マイルは遠すぎる (ハヤカワ・ミステリ文庫 19-2)

九マイルは遠すぎる (ハヤカワ・ミステリ文庫 19-2)