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百伍圓読書録2:恩田陸『六番目の小夜子』読みました!

百伍圓読書録というのは、ブックオフの105円コーナーで手に入りそうな本に限定して雑感を書くシリーズです。今度で2回目です。ちなみに1回目は綿矢りさ『インストール』でした。

105円コーナーは手を出しやすいので、食わず嫌いしていた作家なんかに挑戦する、よいきっかけになればと思っています。

今回の、恩田陸六番目の小夜子』はブックオフではない店で購入しました。でも恩田陸のような有名作家だと、ある程度部数が出回っているので、105円コーナーに置かれる頻度も高いと思います。

雑感


今回は、新潮文庫版(2001年初版)を読みました。
六番目の小夜子』は恩田陸のデビュー作です。
その新潮文庫版の作者あとがきを読んで、驚いたことと、やっぱりそうかと再確認したことがあったので、その二点について書きます。


まずは驚いた点です。それは『六番目の小夜子』には二つのバージョンがあると知ったことです。バージョン1は、1992年に新潮文庫のファンタジーノベル・シリーズとして出版されたものです。バージョン2は、それに加筆修正して1998年に単行本として出版されたものです。
現在広く流布しているのはバージョン2の方です。1の方はすぐに絶版となり今では希少なようです。調べてみると、1,000円で売っているのを見つけました。そこまで高くないですね。運がよければ、105円コーナーで発見できるかもしれません。ともあれ、バージョン1も読んでみたいです。


次にやっぱりそうかと再確認した点です。恩田陸はあとがきに「こんなの二度と書けないと思うし、それでいて既に私らしいところは全部入ってるなあと思う」(p325)と書いています。小説家はデビュー作に書きたいこと全部を入れ込んでくると思っているので、やはりそうかと納得しました。
デビュー前の小説家は、未来が約束されていません。故に無理にでも書きたいこと、考えていることを書き込んできます。その分荒削りですが、書き手のエネルギーの大きさや方向性が非常によく分かります。ですので未経験の作家に挑戦するならば、デビュー作がいいと思います。興味が湧く、湧かないがはっきりと顕れるからです。

最後に

あとがきについてばかり述べて、本編について書かないのは気が引けるので、最後に一つ書きます。とても印象的だった文章についてです。それは「けれども高校生は、中途半端な端境の位置にあって、自分たちのいちばん弱くて脆い部分だけで世界と戦っている、特殊な生き物のような気がする」(p21)という一文です。
人間の営み、文化と言ってもいいかもしれませんが、その核心をこんな風に言語化できることが、ただただ凄いと思います。小説家、恩田陸の力がはっきりと理解できる一文です。「弱くて脆い部分だけで世界と戦っている」という言葉はとても深く内省的で、同時に普遍的です。
こういった素敵な言葉を積み重ねて、文学というものは形作られていくのだなあと思いまいした。読むことができて、とても嬉しかった文章です。

六番目の小夜子 (新潮文庫)

六番目の小夜子 (新潮文庫)